11、復職後半年経って

復職後半年経って自分の体調や会社からの評価などについて書いて行きたいと思う。

まず体調についてだが正直毎日1回は不安が出てきてしまうことが続いている。それは前にも書いたが運転中や面談前の待機時などに出てくることが多い。また、日が暮れはじめると疲れが出てきて不安も一緒に出てくることがある。

正直不安が出るだけで「今すぐここから逃げ出したい!!」と思い軽いパニックに襲われる。しかし「不安は行動で消す」という言葉を私の先生から教わった為、どんなに「ヤバい!逃げ出したい!」と思っても「不安は行動で消す。今逃げたら恐怖心が倍増しクライアント先に訪問出来なくなってしまう。今までも何とかなったんだから大丈夫。焦るな。落ち着いて面談に挑もう。」と自分に言い聞かせ耐えることが出来るようになった。これは自分の中でも一歩成長出来たかなと思えることの1つである。なので面談前は1人でプチパニック状態だが自分の番で呼ばれてクライアントと面談が始まると、仕事に集中するので不安感はどっかに消えて無くなってくれる。これからも自分で思える出来たかな…を増やして行きたいと思う。と、こんな感じで今は病気と付き合っている。

現在3週間に一回のペースで診察を受けているのだが、主治医からは今の仕事量で落ち着いているなら良かった。不安感が出ても自分の考え方次第で対応出来るのだから無理せず今のペースで働いて行ったほうが良いとアドバイスをもらった。しかし、いつかは担当軒数が元に戻るから今からストレスに対する対応策を自分で探して行ったほうが良いとも言われた。今いいペースで来ているのでこの流れを崩さないよう主治医からのアドバイスも参考にしながら日々過ごして行こうと思う。

次に会社からの評価だが、担当軒数が他の営業の4分の1しかないんだからその分密に訪問し関係構築しながら結果を出していけと言われている。今は担当軒数を増やすことはしないけどいずれはフルで訪問してもらうからそこも考えといてな。とも言われている。今の軒数を回りながら数字を作り担当軒数がフルに戻っても潰されないようにしないと。と仕事でのストレスは今後増えていくと思うので今から負荷に耐えるメンタルを作っていこうと思っている。

10、外勤に出てからの体調

復職してから1ヶ月が経ち外勤に出られるようになった。前にも書いたが私の仕事はルート営業で訪問先の近くのホテルを点々としながら活動していくやり方である。復帰していきなり月曜〜金曜までホテル暮らしは正直キツいと思っていた。するとまだ私の体調が完璧ではない為、自宅から通えるエリアに変更してもらえた。なので今までのように新幹線に乗って担当エリアまで行きホテルを点々とする生活とはおさらばする事となった。会社の好意に感謝。担当軒数も約400軒→90軒程に減らしてもらえた。

自宅から通える為1人の時間が多いホテル暮らしより精神的にも肉体的にも大分楽になった。体調も休職させていただけたおかげでかなり良くなったと思う。このまま身体が仕事モードになれば完全復帰出来ると思っていた。しかし一度病気に罹ると風邪等と違い完治するのにかなり時間がかかると感じた。

と言うのも訪問先に行くまでの車の中であったり、面談を待っている間に急な不安感に襲われることがあった。休職前に感じていた「なんか変だな・・・、ここで倒れたらどうしよう・・・、クライアントの前で体調がおかしくなったらどうしよう・・・、面談が怖い」といった症状がまた出てきてしまった。以前のように逃げたり、その不安のせいで気持ちが押し潰されるまではならないが、結構キツいと感じるレベルだった。自分で「不安になっているぞ!他の事を考えてネガティブ→ポジティブに気持ちを切り替えよう!大丈夫!一時的に悪い癖が出ているだけでそんな症状は出ないから安心して面談に集中しよう!」と考えることが出来るようになっていた。すると大体の不安感は自分で抑えられる事が出来るようになった。しかしこの突然の不安は「また前の自分に戻ってしまうのかな…」とかなりビビらされるものである。これから仕事をしていく上でこの症状と向き合っていくのか…と考えると心が折れそうになりこの世から消えたら悩みも無くなるんだろうな…と考えてしまうことがある。しかし妻や娘たちのことを考えると弱気になってられない。いつまでも家族の笑顔を見続ける為にも踏ん張って頑張って行こうと自分に言い聞かせて頑張って行きたいと思う。

9、いよいよ復職

遂に復職当日を迎えた。約10ヶ月休職させていただいていたので復帰出来るか、昔のようにバリバリ働けるかが心配だった。そんな事を考えながら超満員の中央線で会社へ向かっていた。私の会社は秋葉原にオフィスがある。改札を抜けるとオフィスへ向かい歩き出した。その間も大丈夫かな?みんな病人を見る目だったら嫌だな…、馴染めるかな…、気を使われるかな…などの不安を抱えながら向かっていた。

そして会社に着き扉を開け、大きめな声で「おはようございます」と言いながら自分の席へ座った。皆さんからは久しぶり!元気だった?働けるようになったんだね!と優しく声を掛けてもらえたお陰で少し気が楽になった。始業時間になったら皆さんに挨拶をしようと準備していたが上司から挨拶はしなくていいと言われそのまま業務に入った。緊張や周りの目を気にしているのは自分だけで、周りは人に興味がないんだなと感じ、自分も周りを気にしすぎないようにしようと思った。

業務は最初の1ヶ月は身体を慣らすための時短勤務となっている。最初の2週間は9:00‐12:00、次の2週間は9:00‐15:00、最後は9:00‐17:50と徐々に慣らしていった。初めは外勤にも出ず机の整理や製品勉強ばかり行い、記憶を取り戻す為に1日2製品ほどテストを行った。3週間ほど経つと身体も慣れ早く外勤に移りたいと思えるようにもなってきたが、いきなり負荷を掛けるとまた潰れてしまう可能性があるとの事で、主治医から外勤許可を出してもらえず残りの期間何をしたら良いのかとモヤモヤしていた。

会社へは基本電車で通勤するが満員電車で気持ち悪くなったり、急にこの中で倒れたらどうしよう…、誰か助けてくれるのかな…、やっぱり今日は行きたくないな…、会社で具合悪くなってまた救急車になったら嫌だな…とネガティブ思考が治っていなかった。その為、途中駅で降りてしまったり無駄な思考で自分を苦しめていた。「自分の心の傷をえぐる事はやめましょう。」と本を読んだのでネガティブ思考が浮かんだら他の事に意識を向けたり、怖いですが気持ちと向き合ったりし対処していた。この思考が治らないと外勤には戻れないと分かった。そんなこんなしているうちに1ヶ月の慣らし勤務が終わり外勤に出れることになった。

8、復職支援センター

説明会へ参加した時も親の付き添いが必要な方や色々な方がいるなと思っていたが入所してみると、うつ病の方が多く、他にも双極性障害の方等色々な病気をお持ちの方が来ているんだなと思った。みなさん病気とわからないくらい普通で自分と似ているなとも思った。私はここに5月末まで、自分の復職ギリギリまでいる事になっている。ここでのプログラムは認知行動療法やマインドフルネスのやり方、休職を繰り返さない為に行うこと等を学ぶことが出来た。どの講義もとても勉強になり復帰したら使えそうなものばかりだった。毎日通う事により仲間も自然と増え、お互い診断名は隠すがどんな仕事をしてこの病気になったか等を話し合えて居心地の良い空間だった。このセンターを紹介していただけた主治医には感謝しかない。

しかし途中からコロナウイルスの関係で自宅でのテレワークがほとんどになってしまった。残念だったが仕方ない。私は退所後すぐ復職なのでワクワクとドキドキが一気に来ている。やっと復職出来るという嬉しさと、10ヶ月も休んでしまって本当にまた働けるのかという恐怖心があった。復職日が近づくにつれ緊張が増していったが、センターの先輩から「2日前になってから緊張すれば良い。」とアドバイスを頂け今までの緊張がパッと消えた。おかげで自分の緊張感が無くなり、復職前日も少しの緊張だけで済んだ。

これから復職する方は是非2日前から緊張すれば良いと思い、それまでは復職の事を一切考えない方が良いですよ。とだけはアドバイス出来る。

そしてついに復職日がやってきた。

7、2〜4ヶ月目

市民プールは終わってしまったので、毎日ジムに行くことにした。仕事をしている時の勤務時間(9:00〜17:50)はだらけず動こうと決め、掃除、洗濯、ジム、読書、子供の迎えと毎日を忙しくし不安が出てくるスペースがないようにしていた。その方が自分でも辛くならなくて済むので良かった。しかしそんな中でも不安感は襲ってきた。ジムにいる時に奴が出たら高重量に変え全神経を筋トレに向けて不安を吹き飛ばした。自宅で奴が出た場合は読書をするか洗濯物をやるかして不安に固められないようにした。自分を忙しくすると調子が良いような気がした。その事を診察とカウンセリング時で話したところ、「それで少しでもラクになるなら続けて下さい。」との事だった。

なので基本的にはこの掃除、選択、ジム、読書、子供の迎えを毎日行っていた。たまに辛い日や仮眠をする日もあったが大きく乱す事はなかった。このままいけば年内中は休職させてもらい、1月から復帰だと楽しみにしていた。しかし、診察の際に復帰ではなく「復職支援センターへ行って同じような人達と復帰プログラムを学んできて」との事だった。自分の症状はそんなに酷くないしそんなところにまで行く必要はないと思った。しかし主治医からの指示だった為説明会に参加し、その日のうちに入所申し込みを行った。

6、休職

先ずは1ヶ月間の休職に入った。主治医からはバカンスじゃないからそこだけは勘違いしないようにと言われ、「プールに行って水の上に浮いてきなさい。」心と身体が休まるからとの事。早速市民プールに行ったが、お休み中の子供とお母さん、日焼けしているおじいちゃんなどが多く、浮かぶ事は中々難しかった。なので勝手に日焼けをし、暑くなったらプールに入るという行為を繰り返していた。

また、起床時間と就寝時間もなるべく会社の時間と合わせだらけないようにしていた。休み中も不安感が出る事もあったのでそんな時はジムに行き身体を動かしていた。そんな事をしているうちに最初の1ヶ月(2019年8月)が終わった。これで出社許可が出ると思っていたが4ヶ月延長と言われ、戻れると思っていた分反動が大きく落ち込んでしまった。

5、新たな症状

しかし現実は厳しく症状は継続的に出て、新幹線と飛行機に乗れなくなってしまった。仕事上よく利用するのだが、新幹線は各駅があるのでまだ何とかなったが、飛行機は自分の意思で降りることが出来ないので完全に乗れなくなってしまった。この病気の人に多い広場恐怖症というものらしい。病気の本を読んだら乗れなくなる人が多いと書いてあり、完全に自分の脳が記事に洗脳され乗れなくなった感じだ。

しかし乗れないからと仕事を休むことは出来ないので、新幹線だけは乗り、飛行機は事情を話し乗らずに済んだ。各駅の新幹線でも不安感が強い日は本を読んで気を紛らわせていた。

 

【不安のメカニズム】この本は対処法など記載されているので多少の不安やパニックなら自分で対処出来た。今私と同じような症状の方へはとてもお薦めだ。

 

そのうち行かなきゃ新幹線に乗って移動しなきゃと思うとどんどん胸が苦しくなり乗ることが出来なくなってしまった。こうなってしまうともう仕事が出来ないので主治医に相談したところ、1回仕事から離れる為にと休職になってしまった。自分は1度でも逃げたら2度と仕事に戻れなくなるんじゃないかと思い反対したが、今までの無理がこの結果なんだからゆっくり休みなさい!と怒られ休職を受け入れた。